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日常

2021.08.08.Sun

作文 「将来の夢」

ご機嫌よう、サクラです。

皆さんは将来の夢はありますか?あるいはありましたか?

小学生や中学生の頃よく

「将来の夢」

についての作文や発表をさせられた。

特になりたいものも目標も夢もなかったので、

「会社員」

というなんとも子どもらしくない可愛くない回答と共に、普通に幸せな暮らしを送りたいからと書いた。

思春期真っ盛りで捻くれてるしなんとまぁ可愛くない子どもなんだと我ながら思う。

クラスメイトは、アイドルになりたいとか、獣医さんになりたいとかサラリーマンになりたいとかファミチキになりたいとかだった気がする。

でも大人になってから、当たり前の幸せだと思っていた幸せは当たり前に手に入れることができないのだと知った。

帰る家があることも、美味しいご飯があることも、温かい布団で眠ることができることも、友達と遊ぶことも。

全部当たり前ではなかった。 

当たり前の幸せを手に入れるには割と頑張らないと手に入らないのだと知った。

お金を手に入れる為に働かなきゃいけないし、心を健康なまま維持しなければならないし

それが大変なのだろう。

私が当たり前だと思っていた幸せも、父や母が一生懸命に働いて稼いだお金や当たり前にくれる愛情で得たものだった。

思春期の頃、私はなんて不幸な子どもなんだと思ったことが何度もあった。

それを母に言うと、母はいつも

「世界にはね!!毎日ね!死んでるんだよ!子どもが!!!ご飯が食べられなかったり、病気で死んでくの!あんたは幸せな環境にいるだよ!!!」

と言い返された。

なんか腑に落ちなくて、その後また言い返しては言い返されの繰り返しで喧嘩が勃発していた。

でも大人になってから、母の伝えたかったこともわかるようになった気がする。

人間、幸せな環境にいても、更なる幸せを求めてもいいと思うし、側からみればそんなことでって思うことも、本人が辛い思いをしてるならそれは辛いことだし人それぞれだと思う。

ただ、お母さんの作ってくれたご飯が美味しいとか、友達とケラケラ笑い合うこととか、温かい布団で眠ることとか、

そういう当たり前を、ふとした時に幸せだと感じることが大事なのだと。

当たり前の幸せを当たり前ではないのだと、気づける大人でありたい。

私の人生は当たり前で成り立ってることなんて一つもない、きっと。

夢や目標も特にないし、将来に希望を抱いてるわけでもないけど、それでも幸せな日々を送りたくて今日も息をする。

改めて私は思う、

「普通に幸せな暮らしを送りたい」

同じ言葉だけど、自分の中で少し意味は変わった。

ファミチキになりたいと言っていたクラスメイト、今頃誰かに美味しく食べてもらえてるだろうか。

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